「後輩の訃報に想う・・・。」の巻
先日のこと・・・。
1つ下の後輩より連絡があった・・・。
用件は表題の通り、共通の知り合いである後輩の訃報・・・。
何だろう・・・。
人生半世紀を生きてきて・・・。
訃報は何度も聞いているのだが・・・。
自分より年下の訃報と言うものには、いつも胸がしめつけられる思いがする・・・。
その後輩をNとしよう。
聞いた話によると、1~2年程前に脳腫瘍が見つかったとの事・・・。
手術を行って回復を目指していたらしいのだが・・・。
進行に治療が追い付かなかったようだ・・・(無念・・・)。
Nは大学の後輩であり、卒業してからたまに会う程度だった・・・(冠婚葬祭等で)。
久々に会ったNは結構来ていた・・・(頭部が・・・苦笑)。
それでも会えば、自然とその当時の関係に戻れる・・・(楽しかった)。
その後Nの転勤等もあり、疎遠になってしまった・・・。
毎日の生活や仕事に追われ、いつしかNのこともほとんど思い出さないように・・・。
まあこれもよくある話と言ってしまえばそれまでだけれど・・・。
そして突然、表題の訃報が舞い込む・・・。
Nが結婚していたのは知っていた。
ただ、お子さんがいるかどうかまでは分からない・・・。
享年52歳。
お子さんがいるとすれば、何歳になっているのだろう・・・。
もう高校や大学を卒業して働いているなら別だが・・・。
そうでなければ学費やその他でものすごく大変な事だろうと思う・・・。
所詮他人事と言われればそれまでだけど・・・。
自分が子育てでしてきた経験がよみがえり・・・。
ついつい心配になってしまった・・・(何もできないけど)。
人はいつか必ず鬼籍に入る・・・。
これは昔から続く自然の摂理・・・。
「人生わずか50年」
と言われるくらい寿命は長くは無かった昔・・・。
それが現代では80年を超えている・・・。
だからこそというのか・・・。
50歳そこそこで鬼籍というのは早すぎだ・・・。
Nはどういう想いで逝ったのだろう・・・。
それは当人にしか分からないとしても・・・。
「これが自分だったら・・・。」
と、思うと・・・。
とても怖くて怖くて想像すらする事が出来ない・・・。
このような訃報に接するとき・・・(特に年下の)。
「人は何故に生き、そして何故に死んでいくのか。」
「人生に意味はあるのか。」
「自分の人生はこれで正しいのか否か。」
とめどもなく湧いてくる疑問や疑念・・・。
もちろん答えなんて無いことも分かっている・・・。
このような心情の時、平家物語のこの一節が浮かんでくる・・・。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・。」
改めて、諸行無常という言葉の意味であるが、
「この現実の世界のあらゆる事物は,種々の直接的・間接的原因や条件によってつくりだされたもので,絶えず変化し続け,決して永遠のものではない。」
ということ。
これは人の生命(人生)そのものを指しているのだろうか・・・。
昨日会った友人でも、翌日もまた会えるという確証は無い・・・。
そういう心構えで、日々を過ごしていかなければならないのだろう・・・。
まあいろいろと書いてはきたけれど・・・。
ただただ早すぎる訃報に、無念としか言いようがない・・・。
おいNよ。
今はただ静かに眠って欲しい・・・。
今はまだそっち側にはいけないけど・・・。
まっ、何れそっちでお世話になるから・・・(まだまだ先やぞ・・・)。
旨い酒でも酌み交わしましょうかね・・・(苦笑)。
おあとがよろしいようで。
次回は
「落語と三味線の会が大きく(規模)なった・・・」の巻