「知人の逝去・・・。」の巻
人生半世紀も生きて来ると、冠婚葬祭にはかなりの回数出席してきたことになる。
20歳までは特に冠婚葬祭に行ったという感覚はほとんどなく、中学生の時にバアちゃんが亡くなった時に葬儀に行ったくらいか・・・。
実際バアちゃんが亡くなったのは悲しかったが、当時にしてはそこそこ長生きだった為、
「天寿を全うしたよね!!」
という雰囲気がほとんどを占めていた。
悲しいと言うよりは天寿を全うしたという喜び?で比較的笑いの多い式であったように思う。
そして20代の頃は「結婚式」が多く、友人連中が「寿ビンボー」に泣いてた・・・(苦笑)。
しかしそれを横目に、司会者としてタダ(お金は払わない)でその波を乗り切ってきた私がいた・・・(笑)。
30代でもそれはあまり変わらず、葬式よりは結婚式の方がはるかに多かったように思う。
しかし40代になると一気に葬式の数が増えてきた・・・。
これは交友関係が広がったというのも原因の1つではあるが・・・。
葬式の内容としては、友人・知人の親御さんが亡くなられるというのが圧倒的に多かった。
まあ順番的という意味からすればそ~なるのは当たり前。
でも流石にこの年齢になってくると、病気等で亡くなる同級生や知人がポチポチ出てきたのも事実。
久しぶりの同窓会で、
「えっ、あいつ亡くなったの?」
なんて驚きの声があちこちから聞こえてきたり・・・。
同窓会の開始に伴い、物故者への黙祷から始まったり・・・。
そろそろ「死」というものが身近に感じられるようになってきた自分がいる・・・(イヤだけど・・・)。
つい先日も知人が逝った。
ある居酒屋兼バーのようなお店のマスターであった。
そこは大学の先輩の紹介で、初めて行ったのが25歳の時。
それ以来しょっちゅうその先輩と飲みに行っていたものである。
途中で1度店の場所が変わった・・・。
最初の時よりかなりマニアック?な場所。
普通1回行っただけではとても覚えられそうもない・・・(どんな場所やねん)。
まあそれでも結構な回数行っていたので、自然とその場所は覚えたのだが・・・。
そんなに長く営業しないうちにまた場所が変わった・・・。
そして暫くしてからマスターが、
「俺、店を閉めようと思うんだ・・・」
と、ポツリ・・・。
確かにそこまで流行っているという店ではなかったので、経営的に楽ではなかったであろう・・・。
私:「えっ~、閉めるんですかぁ~~~~~?」
マ:「・・・うん・・・。」
私:「あのぉ~、じゃ~止めたあとは何を・・・?」
マ:「とりあえず・・・、介護士に・・・」
私:「何でまた介護士になろうと思ったんです?」
マ:「まあ・・・、いろいろあってね・・・。」
その時はあまり語りたくないようだったので、深く追及まではしなかった。
人それぞれの事情があるのだろう・・・。
そりゃ~誰だって言いたくない事の1つや2つくらいはあるだろうし・・・。
後から聞いた話によると、奥様が昔から水商売に反対はしていたらしい・・・。
水商売以外の職について欲しいという希望を常々言われており、店舗の不振がきっかけとなり介護士へと転職をしたらしいのだ・・・(真偽の程は定かではないが・・・)。
逆に転職してからは一緒に飲みに行く機会が出来た。
そこで、そう頻繁にではないもののちょくちょく一緒に飲みにも行った・・・(紹介してくれた先輩ももちろん一緒)。
そんな事が続いていたある日。
このマスターを知っている知人の常連さん?から連絡があった。
常連:「マスターがガンで入院したってよ!!」
私:「えっ、えぇ~~~~~。で、どこの病院?」
常連:「〇〇大学病院だって」
私:「・・・そうですか・・・」
後で聞かされたのだが、その時点で余命5ケ月と言われていたとの事。
それから入退院を何度も繰り返して、気が付けば5年経っていた・・・(意外)。
「こりゃ以外に行けるかも!!」
と思ったのは私だけではないだろう・・・。
そしてつい先日。
また知人の常連さんから連絡が入った。
常連:「またマスターが〇〇大学病院に入院したって・・・。でも今回はお見舞いに来て欲しくないみたい・・・」
私:「う~ん、それだけ悪いってことですかねぇ・・・」
常連:「そうみたい・・・。また何かあったら連絡するよ」
私:「よろしくお願いします」
まあマスター本人が望まない以上、お見舞いは遠慮せざるをえない。
少々心配しながら数日が過ぎた。
そして1週間が過ぎた頃にまた連絡が入った。
今度はホスピスに移ったとの事。
「こりゃ本格的にヤバイやつだ・・・」
と思い、その翌日に見舞いに行く事に(先輩、常連さん2名と一緒に)。
とりあえず午前中は避けようという話になり、午後2時くらいに病院に到着。
そして病室へ・・・。
奥様が介抱されており、一通りご挨拶をしてからマスターと面会・・・。
ベッドの上で寝ているマスターは、昔の面影もないくらいガリガリに痩せていた・・・。
何でも、腹水が溜まって食事も全く摂れない状況とのこと・・・。
相当痛みも激しいのであろう・・・。
聞けば、痛み止めにモルヒネを使用するところまできている。
それでも何とか私たちを認識することは出来たみたいだ・・・。
声も出せない状態だが、必死に手を伸ばしてくる姿に思わず涙が・・・。
こういう時って、本当にどんな言葉をかけたらいいのか全く分かりませんね・・・。
とにかく務めて明るく振る舞い、早く元気になってと励まして病院を後にしたのであった・・・。
帰りの車の中で全員が、
「あまり長くはないかも・・・」
と話したのは、無理からぬことだろう・・・。
1人の常連さんがマスターの奥様と仲が良いことから、
「とにかく何かあったらすぐ連絡します」
ということで、その場は解散・・・。
しかし大変残念ながら、翌朝一番にメールが入った・・・。
私たちがお見舞いに行ったその日の夜に亡くなったとの事・・・。
ある意味、亡くなる前に会えたのは良かったのだけれど・・・。
先輩と2人で、
「何か俺たちが引導渡したみたいで何だかなぁ・・・」
と、複雑な気持ちがずっと消えなかった・・・。
人はいつか必ず死ぬ・・・。
しかし知人が逝くのを見送るのは大変つらいものだ・・・。
ただ少なくとも私たちはまだ元気で動ける状況にいる。
きっと思い残したことが沢山あったであろうマスターの分まで、しっかりと生きて行かなければならないと考えている・・・。
同年代の死や、今回のマスターの死は、
「今この瞬間をしっかり生きる事の大切さ」
を、教えてくれているように思う。
マスター、いろいろ大変だっただろうけど、今はただゆっくり休んで下さいね・・・。
まっ、また天国でお会いしましょう!!
そしてまた楽しく酒を酌み交わしましょう!!
まあ私が天国へ行けたらの話ですけどね・・・(苦笑)。
おあとがよろしいようで。
次回は
「人の意見はすべて聞かなくてもよいと思う」の巻