「30年前の中国⑤(桂林編③)・・・。」の巻

さてさて、偉いオッサンと学生服君と別れて飯店(ホテル)へ戻った・・・。

昼間あれだけ食べたのに、夜になるとやはり腹が減る・・・。

う~ん・・・、これが若さというものか・・・(苦笑)。

 

とりあえず夜の街に繰り出して歩いていたら、屋台の集団が目についた・・・。

衛生面が多少気にはなったものの、

 

「まっ、いっかぁ~・・・、いいニオイするし・・・。」

 

ということになり、どの屋台にしようかと物色・・・。

 

すると、1軒の屋台が熱心に誘ってくるもんだから、

 

「じゃ~ここにしますかぁ・・・。」

 

と決定・・・。

 

しかしこの選択が大いなる間違いであった事に後々気付くのであった・・・(怒)。

 

暫く楽しく飲み食いしていた私たち・・・。

まあ確かに酒や料理は美味しかった。

1時間ちょい程いただろうか・・・。

そろそろお腹も一杯になったのでお勘定を頼んだ。

すると、1人あたりの金額が何と・・・。

 

 

 

「2000円」(怒)

 

 

 

一瞬、何かの間違いかと思い改めて確かめてみると「間違いない」という!!

そこで、

 

「こりゃ完全なボッタクリじゃねぇ~か!!」

 

と気付いた私たち・・・。

 

いやいやありえんでしょうよ・・・。

昼間はあれだけ食べて一人250円だったのに・・・。

それがいきなり8倍になんてなるものか!!

高級料亭でもあるまいし・・・。

屋台だろ・・・、屋台!!(怒)

 

暫くの間、日本語で

「アホー、ボケー、カスー!!」

「〇〇〇で〇〇〇してしまえ~~~!!」(ちょいとお下品な表現)

と叫んでいたのだが・・・。

ど~もあまり効果がない・・・。

 

そこで考えた私たち・・・。

 

丁度座ったテーブルと椅子がかなり頑丈な作り!!

「(一丁ここに上って大声で歌ってやるか・・・。)」

と・・・(笑)。

 

そこから、一人ずつテーブルの上に立って「カラオケ」ならぬ「生オケ」をやった!!

まあ当時流行りの歌を歌詞を適当~にして歌いましたよ・・・(苦笑)。

酔いも手伝って特に恥ずかしくもなかったし・・・(爆)。

 

これをやり始めると、一瞬で周りに人垣が!!

これがまた結構な大人数!!

皆黙って私たちを見ている・・・。

手拍子くらいすればいいのに・・・(笑)。

しかも公安(警察)まで来ている・・・。

この状態で約1時間歌いっぱなし・・・。

今思えば、よくぞまあ捕まらなかったもんだと・・・(爆)。

 

流石にここまでくると、屋台の店主も青ざめている・・・。

そこで、

「さあこれでいくらになるんだ!!」

と、何度も何度も詰め寄った。

 

泣きそうな顔になりながらも、「いくらになります」と言わない店主・・・。

一瞬、

 

「このまま逃げたろか!!」

 

とも思ったが、公安もいるので流石にそれは止めにした・・・(苦笑)。

それやったらマジ捕まるし・・・(爆)。

 

ただ、このまま満額支払うのも癪だったのは言うまでも無い。

それにトイレにも行きたくなってきたので、とりあえず半額払うことにした私たち・・・(優しいなぁ)。

それでも1000円だから頭にくるよなぁ・・・、まったく・・・。

 

それを投げつけるように店主に渡したときの、あの店主の顔がね!!

ホッとした表情で、半泣きになっていた・・・(笑えんが・・・)。

 

きっと今まで何度もボッタクってきたのだろう・・・。

でもこちらも男6人・・・。

「はいそ~ですか!!」

と大人しく従う訳がなし!!。

そりゃ~ボッタクった相手が悪かったよなぁ・・・(笑)。

とは言え、最後の1時間くらいは正式抗議?(営業妨害とも呼ぶ?)をした訳だし・・・。

これも旅のいい経験と思っておきますかね・・・。

でも頭にくる・・・(爆)。

 

翌日、また学生服の彼と約束していたので会う事に・・・。

そこで昨日の顛末を話したところ、

 

「それは彼らが少数民族だからです・・・。」

「彼らはそうしていかないと生きていけない・・・。」

「そういう民族・・・、いっぱいいます・・・。」

 

と、解説してくれた・・・。

 

そこで、

「う~~~ん・・・。」

と考え込んでしまった私たち・・・。

 

そもそも中国人は日本人と同じく単一民族だと思い込んでいた・・・(全員が)。

後で学んだことだが、単一どころか結構な数の民族が寄せ集まって形成されている・・・。

その中でシノギを削っていくのだから・・・。

まあそりゃ~大変なんだろう・・・。

生きて行くという意味で・・・。

だからといって、ボッタクリを許した訳ではないんですがね・・・(苦笑)。

 

それと、書きそびれていたのだが・・・。

私たちが食事をしていると、現地中国人達が寄って来ては必ず

 

「ボールペンを交換してくれないか?」

「兌換券をチェンジしないか?」

「日本のタバコ持ってないか?」

 

と、聞いてくる・・・。

一々相手するのも面倒だったのだが・・・。

一度興味本位でボールペンを交換してあげたことがある。

そして使ってみたのだが・・・。

 

 

「ま~~~お見事!!」

 

 

の一言!!

 

普通3文字くらい書いて、書けなくなるかぁ~~~???

しかもインクは沢山入っているのに・・・。

こんな不良品を中国人は毎日使っているの???

だとしたら、ボールペン何本持ってても足りないぞ・・・(爆)。

と、真剣に考えてしまった・・・(そりゃそ~だ)。

 

ボールペン1つ取ってみても、これ程の差があるという現実・・・。

当時、日本のボールペンはほぼ100%国産。

だから、途中で書けなくなるボールペンなんて見た事なんて無かったし聞いた事すら無かった・・・。

国外に出て、ボールペン1つに生活文化の差を感じてしまうなんて・・・。

「若者は海外に出て文化の違い等を肌感覚で学ぶ事が大事!!」

と言われるけど・・・。

それはこ~ゆ~事を経験しろという事なんだよなぁ~、きっと・・・!!

TVや新聞だけでは分からない事もありますって!!(笑)

 

でも流石にこの時、

「ボールペンを中国に輸出すれば儲かる!!」

というところまで、頭は回りませんでしたが・・・(しまった・・・)。

 

さてさて、いろんな体験をさせて頂いた桂林に別れを告げ・・・。

 

次はもっと南方の「杭州」へと移動・・・。

 

これで話もやっと半分くらい・・・。

 

これを読んで下さっている皆様・・・。

 

読むのもすごく大変でしょう・・・。

 

でも・・・、書く方もけ~っこう大変なんですよ・・・(泣)。

 

 

と、言う訳でまだまだ旅は続くのであった・・・。

 

 

おあとがよろしいようで。

 

次回は

「30年前の中国⑥(杭州編)・・・。」の巻

 

 

 

 

 

 

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